2013年6月22日土曜日

台地と谷を歩く。小日向台地と音羽通り、そして江戸川橋へ


江戸という都市の道は、「尾根道」か「谷道」のどちらかである。

陣内秀信氏の本を読んで以来、地形を意識して
東京を歩きまわるようになった。

「江戸を足の裏に感じながら歩く」のは楽しい。























今日は、「椿山荘」をあとにして、
「目白台地」の尾根道である「目白通り」を、
西から東へと下り、

「音羽通り」との交差点、「目白坂下」まで歩いた。

左(北)には「護国寺」の伽藍が見え、
右(南)へ行けば「江戸川橋」。

「音羽通り」の向こう側に鳥居が見えたので、
通りを渡り、奥へと入ってみた。

江戸の雰囲気をまとった狛犬が迎えてくれる。























「今宮神社」は、護国寺建立の際には、護国寺境内にあったが、
明治の「神仏分離令」によって、この地に移されたそうだ。

神社の裏側一帯は切り立った高い崖になっている。
「小日向台地」である。

神社の脇にある、「八幡坂」を上がって、台地の上をめざす。



台地の上の道に至るまで、
急な傾斜の坂道と階段が、長く続く。
日常ここを使うのは大変そう。

ようやく平らな道になった。
細い道を進むと、左手に「鳩山記念館」の裏門が現れ、
敷地の裏、東側に沿って歩く
(裏門からはもちろん入れない)。

その先にある「鼠坂」(これもまた狭い長い坂である)
を下って、再び「音羽通り」へ。


 


門が音羽通り側にあるのでわからなかったが、
裏道を通ってみたおかげで、

「鳩山記念館」の洋館は、
高く盛り上がった台地に建つお屋敷である、
ということがよくわかった。

 












鳩山記念館の門を入れば、またすぐ敷地内の坂道がある。



 
































































洋館の美しい外観と内部のステンドグラス装飾を
ゆっくりと鑑賞したのち、

鳩山記念館の門を出て左へ。
 
「護国寺」には、また別の日に訪ねてみたい、と思いつつ、
「江戸川橋」方面へ向かう。
 
 
「音羽通り」は、「目白台地」と「小日向台地」に挟まれた谷地である。
今日、歩いて確かめることができた。
 
それならば、この低くなった場所には水が流れていたはず。
 
と思って、あとで調べてみると、
今は暗渠となって姿は見えないが、「音羽通り」に沿って
2本の川が流れ、神田川に流れ込んでいるらしい。
 
江戸時代、水源豊富だった、この地は紙漉きが盛んだったという。
 
 
そして、「江戸川橋」には関口という地名がある。
江戸時代に井の頭池を水源とする神田川が
ここ関口で2本に分水された。
 
水戸藩の屋敷を通って下町の武家地や町人地へ
流れていくものは「神田上水」、
飯田橋へ向かって流れるものは「江戸川」と呼ばれた。
 
その上にかけられた橋だから、「江戸川橋」。
 
 
江戸城からは少し離れた地ではあるが、
 
ここには、しっかりと江戸の要素が詰まっている。
そう感じることができた一日だった。
 





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