2016年1月6日水曜日

追悼・池田重子さん 「日本のおしゃれ展」へ託した想い

池田重子さんの着物コレクションを紹介する「日本のおしゃれ展」が
銀座松屋で開催されている(2015/12/30-2016/1/18)。




















うかつなことに、池田さんが2015年10月(享年89歳)に亡くなっていたことを
この展覧会の案内を見て初めて知った。

池田重子さんのコレクションは、明治・大正・昭和初期にかけて
着物文化が独特の深みを増す時代のものを集めている。

いまや1万点を超す数になっているコレクションのきっかけは、
50歳を過ぎた頃に出合った一個の帯留めだったと聞いて驚く。

ものすごく精力的にコレクションに取り組み続けていたことがわかる。

「日本のおしゃれ展」は1990年代、伊勢丹美術館で毎年続けて3回ほど開催され、
2000年代になって、同じタイトル「日本のおしゃれ展」で銀座松屋でも
開かれるようになった。
何度も観ているが、観るたびに、
日本の美を誇らしく思う気持ちにさせてくれる。

よくぞこれだけのものを、美しい形で残しておいてくださった・・・
と感謝の念が湧きおこる。

さらにすごいと思うのは、このコレクションを自らコーディネートした形で
残しておいておかれたことである。
着物、帯、帯留などの小物、一点一点だけでも素晴らしい芸術品なのに、
それらを池田さんらしい審美眼によって組み合わせボディに着せることで、
着物はこちらに向かって有機的に語りかけてくる。
「そこがまさに着物の美なのですよ」と池田さんが語りかけてくるようである。

かつて、講演会の講師をお願いし、目黒のお店まで車でお迎えにいったとき、
車中でお話を伺ったことがある。

「着物についての知識を深めるにはどんなふうに勉強したらよいのでしょう?」
という私の質問に対し、それが彼女の信念であると言わんばかりに、
「まず着ることです。着るしかありません」。きっぱりと言われた。

着物が日常着でもある時代、ハレの日の着物の中に、どれだけこころを込め、
おしゃれの極みを発揮したのだろうか。
そこには、いまの私達とは比べようもないほどの労力とこころの使いようがあるように思われる。

池田重子さん、ありがとうございます。
どうか安らかにお眠りください。

























2016年1月3日日曜日

船橋市・下総二宮神社へ


平安貴族の藤原時平の祀られている「下総二宮神社」(船橋市三山)へ
一度行ってみたい、とずっと思っていた。

近所の洋菓子店で「高津姫クッキー」を知ったのは、
ちょうど1年前のこと。



















京のみやこで生まれたお姫様が逃れてきたのは
この八千代市・高津だった・・・という物語に、一気にこころを奪われた。
そして、昨年2月の寒い日、姫が祀られているという「高津比咩神社」へ

娘・高津姫の神社から出た神輿が
父・時平の神社へと向かうのが「七年祭り」。
小林千代美さんはその著書のなかで、
“父娘再会”の場面を感動的に記してくれている。





















7年に1回のお祭りは見られなくてもいいから
二宮神社には行ってみたい。
そう思い続けていた。

今日は、夫が運転する車に母を乗せて、参詣となった。
成田街道沿いにある薬園台公園のあたりから
南へ細くのびる道路を走っていく。
道路は参詣に向かう車で混んでいた。

いまや「ふなっしー御守」などでも有名になっているらしい。

道路沿いにある鳥居をくぐって
石段を降りると、細い小川のような流れがあり、
それを越えるとまた石段。
上に社が見える。




神社は大きな木々に囲まれた空間。
とくに鳥居の側に立つ銀杏の木の大きさには驚いた。
天然記念物にも指定されている。




鳥居の横にいる狛犬。
間抜け面(ごめんなさい!)に癒やされる。


 




















拝殿の横にも狛犬が。
こちらの方が時代的には新しそうだ。





拝殿も、後方の本殿も、木彫が細やかで素晴らしい。

高津比咩神社の、いかにもお姫様を祀った感じの社殿を
思い浮かべながら、この繊細さや気品はやはり、
姫のお父さんを祀るのにふさわしいと思った。

藤原時平といえば、菅原道真の政敵である。
京都での政争の末、時平は道真を大宰府に左遷したが、
その2年後道真が亡くなると、京の都は落雷や疫病にみまわれ、
人々は道真の祟りと恐れた。
時平も39才の若さで亡くなり、時平の奥方と高津姫は、
祟りを恐れて、舟で遠く下総の地までやってきて、
高津の地(現八千代市)に移り住み、その地で一生を終えた。

時平は、道真側からみると憎き悪役であるが、
実際には有能なリーダーでもあったという。

この三山(みやま)のあたりは、平安時代には
藤原北家の荘園がひろがる地域であったらしい。





















大阪で生まれ、結婚後30代で東京へ。
50代からの20年間を太宰府で過ごし、
道真についても詳しく勉強したわが母(85才)。

70代からは、初めて住む場所・八千代で過ごすことになって
現在に至る。

京都・太宰府・八千代・・・。このつながりを
本当なら母が一番面白がってくれるはずだが、
説明した時には、「ホント~!」と一応リアクションはあったものの、
本当にわかっているかどうかはあやしい。

まあ、一緒に足を運べただけでもよしとしよう。