2013年10月31日木曜日

赤坂見附・ニューオータニ美術館「セキ美術館名品展」


ニューオータニ美術館で開催中(9/28~11/4)の
「セキ美術館名品展 加山又造と近代絵画の巨匠たち」を観た。


















平日のわりには、人が多かった。
ホテル自体が、七五三や結婚式シーズンで混んでいるせいもあるのだろう。
あるいは、会期が終わりに近いためだろうか。






















愛媛県松山市の、道後温泉からほど近い住宅街の中に
「セキ美術館」はある。
その外観も松山の街にふさわしく、すっきりと洗練されているが、
内容もすばらしい。収蔵品一点一点の質が高い。
丁寧に収集されたもの、という感じがする。

姿の美しい松山城、歴史がある道後温泉、正岡子規のふるさと。
様々な文化的な要素のある松山の街において、
「セキ美術館」もまたひとつの観光スポットとして見逃せない。


以前、松山に用事で何度も訪れることがあった頃、
道後温泉と同じくらい足を運んだし、
観光でやってきた知人たちを案内したこともある、
私にとっては思い出深い美術館とそのコレクションである。

今日は、改めて秀逸な味わいのある作品たちと再会できて、
 
とても懐かしかった。


 
















 

かつて彦根藩井伊家の敷地であったホテルニューオータニ。
せっかくなので、ガーデンラウンジからの眺めを楽しんでから帰ることにした。




























2013年10月29日火曜日

丸の内三菱一号館美術館「名品選2013印象派と世紀末美術」


丸の内三菱一号館美術館で開催中(10/5~1/5)の
「三菱一号館美術館 名品選2013 近代への眼差し 印象派と世紀末美術」
を観た。












2010年の開館記念展「マネとモダン・パリ展」以来、
美術館としてのたゆまぬ歩みを続けてきた三菱一号館美術館の
集大成のような、画期的な展覧会であると思った。



























































美術館の建物は、お宝を披露するための単なる器になりがちである。

ところが、中に盛った名画との調和を果たし、街の空気ともつなげて見せる、
初めての美術館であると、思ってこれまでも興味深く見ていた。

こちらに語りかけてくる何かを美術館自体がもっている。
固定的な作品を展示するための空間ではなく、
様々な画家やコレクションを取り上げる美術館である。
開催されてきた美術展を貫くテーマを感じるのだ。
これは初めての体験である。

また、10月10日のトークイベントでの高橋明也館長が語られていたように、
「版画というグラフィックのちから」を感じさせる展覧会でもあった。

ルドン、ヴァロットン、ドニ、ボナール等の版画作品のまとまったコレクションは
視覚的にとても説得力があった。

その時代の画家だけでなく、複数の仕掛け人によって、グラフィック作品は
世に出され、人々に認められ、新しい美の楽しみ方を広げていった。

そのことがよくわかる内容であった。






















また、画家の様々な側面を伝えてくれる展示でもあった。

黒の好きなルドンが次に描いたのは、鮮やかな色彩の作品。
























そして、「グラン・ブーケ」。

248.3cm×162.9cmの大きさをもつ、このルドンのパステル画は、
1901年にブルゴーニュ地方の城館に設置されて以来110年もの間
非公開のままであったという。








































それが、今こうして目の前で見られる幸せ。
見る人を優しく包み込むような、この甘美な調べ。

「ここに来てくれてありがとう」と誰もがそう思うにちがいない。









2013年10月26日土曜日

根岸の里散歩(2)・夕暮れ時・酒井抱一を想う


11月中旬、根岸の「西蔵院」茶室・望城亭で
お抹茶席を持たせていただくことになっている。





















































(写真撮影:2013/09/19)


呉服問屋さんの展示会の添え釜であるので、
本格的なお茶会のお席ではないが、
自宅やお稽古場以外では初めての席主役である。

多くの人の力をお借りしなければできないことであるし、
お客様に本当に喜んでいただける席づくりをしたい、など
いろいろ考えていると、日が近づいてくるにしたがって、
緊張感が高まってくる。


茶席づくりでまず大事なことはテーマであろう。

季節や今回のイベント内容との連動、
お客様に喜ばれること、
会場やその地域にあったもの、
などなど、条件や情報を自分の中に取り込み、
茶席の中につくりあげたい世界を考えてみる。

道具とにらめっこしていても、
なかなか想像の世界は広がっていかない。

現地へ出向いて、刺激を受けるのがよいかもしれない。

すでに夕闇が迫っていたが、
今日は日比谷線の入谷駅から
根岸の里へ入ってみることにした
(前回9/19はJR鶯谷駅から行った)。


地下鉄入谷駅に降り、出口2を出ると、
「言問通り」と「昭和通り」の交差点、入谷交差点の角に立つ。

「言問通り」を横断し、「鬼子母神」側へ渡りつく前に、
並んで2つの碑が立っていることに気づき、近づいて確かめた。

 










 
「入谷朝顔発祥之地碑」。
江戸末期、このあたりは朝顔づくりが盛んだったといわれる。
今も、毎年7月に行われる朝顔市は有名である。

 
 
 
「入谷乾山窯元之碑」。
尾形光琳(1658-1716)の弟であり、陶工・絵師として有名な
尾形乾山(1663-1743)が江戸の地にも窯をつくったのが
この場所であったとは!
京都が活躍の場所であったとばかり思っていた乾山であるが、
調べてみると、1731年(69才)でこの地へ移り住み、
亡くなるのも江戸。お墓は巣鴨の善養寺にあるといわれる。
入谷で作られた陶器は「入谷乾山」と呼ばれ、
珍重されているそうだ。
 
 
 
入谷といえば「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な、真源寺。
交差点を渡り右へ進むとすぐ、
言問通りに面して「真源寺」の門があった。
塀の上から覗いているのはザクロの木だ。
赤い実が見える。


 
 
  
 

 
  
鬼子母神像はザクロを持物としている姿だという。
いつご開帳なのだろうか。
 



門の左手には入谷七福神の一つ「福禄寿」の像がまつられていた。
なんとなく子供のような愛らしい老人の姿である。

今度は朝顔市のときに来てみたい。


この地の朝顔を多くの江戸の画家たちが描いている。
そのなかの一人、酒井抱一(1761-1828)も
ここ根岸の地(かつては下谷金杉大塚村)に
終の棲家「雨華庵」をつくり、暮らしていた(1809~)。

根岸5丁目の庵があった場所には
今は全く別の建物があり、
住居跡であることを示す説明板が立てられているらしい。

抱一は、江戸琳派の祖と呼ばれ、
鈴木其一はじめ多くの弟子に教えている。
琳派といえば、
①俵屋宗達・本阿弥光悦~②光琳・乾山~③抱一~④其一
とつながっているもの、と単純に覚えていたが、
①と②、②と③のは、生没年を見ても全く重なっていない。
つまり、師と弟子として交わったことはなかったのだ。

にもかかわらず、
抱一の光琳・乾山兄弟に対する敬愛の念は強く、
光琳の百回忌を行い『光琳百図』を編集出版。
乾山の墓に碑を立て『乾山遺墨』を出す。

遺された光琳・乾山の作品が、抱一という絵師を育て、
抱一の出版によって、光琳・乾山芸術が後世に伝えられていく。

姫路藩酒井家の二男に生まれ、出家したものの、
財力のバックアップは続いたのかもしれないが、
直接教えられたこともない師匠に対し、
ここまで傾倒するとは、
常人ではない。

そういう抱一の生きた場所としての根岸を
少しでも茶席で共有できれば、という思いになってきた。


そんなことを考えながら、「金杉通り」から「柳通り」へ入る。

















両側に柳が植えられ
道が柔らかくカーブしていて、歩いていて気持ちがよい。

この先の「うぐいす通り」にぶつかる角にある
和菓子屋さんへ行くためには他にも行き方はあるが、
ここを通ることにした。





ちょっと気になるお店もある。
洋食「香味屋(かみや)」、季節料理「さつき」、釜飯「たちばな」など。



 

あとで昭和30年からこの「柳通り」で営業している
「福助せんべい」の店で聞いたところ、
ここはかつて芸者さんが通った道だそうだ。


















今回の茶席の菓子を頼もうとしている「竹隆庵 岡埜」に
たどり着いた。

9月の店頭にはなかった栗のお菓子が目に入る。








どのお菓子にするかまだ迷っている。
酒井抱一さんに相談してみたい。


江戸のまちを歩くと、いろいろな“亡霊”に出会う気がする。

普段は亡霊にはあまり会いたくないが、
今日だけはなんだかそばにいて相談にのってほしい。
そんな気持ちである。




2013年10月21日月曜日

奈良・大和郡山「慈光院」創建350年記念法要茶会


前日10月19日の夕方から降り始めた雨は、
20日の朝も降り続き、結局夕方薄暗くなるころまで降っていた。


























今日は、大和郡山にある慈光院で、
「開山玉舟和尚並びに片桐石州毎歳忌法要」が10時から開かれ、
10時30分からは法要の席からお客様が移動され、
新書院での、濃茶席(古石州流・本庄扇宗先生担当)と
薄茶席(片桐宗猿派・森川宗悦先生担当)が始められた。

今年は、慈光院創建350年ということもあり、
早い時間から多くのお客様がおみえになった。




















































(写真:薄茶席)



各6席を設け、それぞれに40~45名様をお迎えするかたちで、
両席とも打ち合わせ通り進み、夕方には受付と水屋の役割だった私たちも、
慈光院の本堂や旧書院の方を見て回る余裕ができた。























まずは、石州流の華と盆石を拝見。


そして、書院からの眺め。
雨後の夕暮れ時にも関わらず、庭と室内のこの美しいコントラスト。
何度来ても、ここではこの眺めに心を奪われ、時を忘れる。


















































寺の門の脇に「茶道石州流発祥之寺」との碑が立つ。

大和小泉藩の城主で、徳川将軍家の茶道指南役であった
片桐石州(1605-1673)が、父の菩提を弔うために1663年に建立。



 
門をくぐったところからすべて、「境内全体が一つの茶席」
との考え方で石州が設計したものである。

350年間、火災にもあわず、創建当時のかたちのままを保っている慈光院。
石州の茶を知るための大きな「手がかり」と言えるだろう。
そんなことを改めて感じた。




すっかり晴れあがった翌日は、再び慈光院へと足を運んだ。

































 
 
朝早い時間だったため、
観光客の姿がちらほら見えるだけの、静かな境内である。
書院でお抹茶とお菓子をいただき、
庭に向かい合って座し、ご住職のお話を伺った。
 
「利休の精神に戻ることを石州は目指した」。

石州の茶の特徴としてよく言われるのは、
「織部や遠州の大名茶の系譜を受け継ぎながら、
利休伝来の侘び茶も取り入れて集大成した」
ということである

「侘び茶」とは形だけのことではない。

「人の心と心がまじわる」利休の茶、石州の茶。
若々しい気力に溢れるご住職もまた、
そこを目指していかれることだろう。
頼もしいかぎりである。


 

「一子相伝」ではなく、
「完全相伝(かんぜんそうでん)」、
すなわち、継承を望む弟子にすべてを伝えることを、
石州がよしとしたのは、
それぞれが創意工夫を重ねていく、
本来の茶の精神が伝えられることを願ったからではないか。

大和の国の空気を取り込んだ、広々と感じられる庭を眺めながら、
 おおらかな石州の精神を感じることができた。




 
 

2013年10月20日日曜日

奈良・大和郡山「季節料理 翁」


近鉄奈良線・筒井駅近くのホテルからタクシーを走らせて、
予約を入れていた大和郡山市紺屋町の「翁」という店に行った。
茶道のH先生とご一緒の夕餉の席である。


大和郡山は城下町。

織田信長の時代に大和一円を治めた筒井順慶によって
かれた「郡山城」は、羽柴秀長に受け継がれて、
急速に近世城下町としてととのえられたという。

紺屋町は、JR郡山駅と近鉄郡山駅に挟まれた地域。
ここには、他にも 当時からの町名である、
豆腐町、錦町、材木町、塩町、魚町などが残っている。

























風情ある町並みを車は進み、店に着いた。
店の前には細い水路が流れている。


石造りの大きな蛙や兎が出迎えてくれる、
楽しげな入り口である。





























店内に入り、4人並んでカウンター席に。
H先生が車椅子のまま入れる席である。
 
今日の慈光院での茶会が無事にすんで、
ほっとした空気が流れていた。

日本酒が似合うのかもしれないが、みな銘々に好きなお酒をたのむ。
まずは祝杯を挙げねば。

ワインもすっきりとした味わいの、和食によく合うものが
置いてあった。




















突き出しは、 蓮根梅肉和え・衣かつぎ・菊菜お浸し・鯛の子・栗・枝豆。
お月見にちなんだ献立である。

























次にお造り。
鮪・かんぱち・ホタテ・鯛が、兎をかたどった皿に盛られている。






























焼き物は、 鰤の照焼。
たれの味が甘すぎずからすぎず程よかった。




















アツアツの、カニクリームコロッケは絶品。

















酢の物は、さらし鯨に酢味噌。
やわらかい酢味噌の味もよいが、ミョウガの新鮮さが際立った。




















ごはんは、 きのこ御飯イクラのせ。

















おしまいの水菓子は、 洋梨とアイスクリーム。
あっさりした甘味が嬉しい。





















魚も野菜も、新鮮な素材を美味しく食べてもらいたい、
という気持ちで包み込み、差し出されたような、
そんなお料理だった。
 



帰りがけ、タクシーを呼ぼうとしたら、
先ほどまで包丁を握っていた店主が車でホテルまで送ってくれると言う。
ありがたかった。
こころあたたまる厚意に感謝。


雨も上がり、しっとりと大和の夜が更けていった。