銀座松屋で開催されている(2015/12/30-2016/1/18)。
うかつなことに、池田さんが2015年10月(享年89歳)に亡くなっていたことを
この展覧会の案内を見て初めて知った。
池田重子さんのコレクションは、明治・大正・昭和初期にかけて
着物文化が独特の深みを増す時代のものを集めている。
いまや1万点を超す数になっているコレクションのきっかけは、
50歳を過ぎた頃に出合った一個の帯留めだったと聞いて驚く。
ものすごく精力的にコレクションに取り組み続けていたことがわかる。
「日本のおしゃれ展」は1990年代、伊勢丹美術館で毎年続けて3回ほど開催され、
2000年代になって、同じタイトル「日本のおしゃれ展」で銀座松屋でも
開かれるようになった。
何度も観ているが、観るたびに、
日本の美を誇らしく思う気持ちにさせてくれる。
よくぞこれだけのものを、美しい形で残しておいてくださった・・・
と感謝の念が湧きおこる。
さらにすごいと思うのは、このコレクションを自らコーディネートした形で
残しておいておかれたことである。
着物、帯、帯留などの小物、一点一点だけでも素晴らしい芸術品なのに、
それらを池田さんらしい審美眼によって組み合わせボディに着せることで、
着物はこちらに向かって有機的に語りかけてくる。
「そこがまさに着物の美なのですよ」と池田さんが語りかけてくるようである。
かつて、講演会の講師をお願いし、目黒のお店まで車でお迎えにいったとき、
車中でお話を伺ったことがある。
「着物についての知識を深めるにはどんなふうに勉強したらよいのでしょう?」
という私の質問に対し、それが彼女の信念であると言わんばかりに、
「まず着ることです。着るしかありません」。きっぱりと言われた。
着物が日常着でもある時代、ハレの日の着物の中に、どれだけこころを込め、
おしゃれの極みを発揮したのだろうか。
そこには、いまの私達とは比べようもないほどの労力とこころの使いようがあるように思われる。
池田重子さん、ありがとうございます。
どうか安らかにお眠りください。
日本の美を誇らしく思う気持ちにさせてくれる。
よくぞこれだけのものを、美しい形で残しておいてくださった・・・
と感謝の念が湧きおこる。
さらにすごいと思うのは、このコレクションを自らコーディネートした形で
残しておいておかれたことである。
着物、帯、帯留などの小物、一点一点だけでも素晴らしい芸術品なのに、
それらを池田さんらしい審美眼によって組み合わせボディに着せることで、
着物はこちらに向かって有機的に語りかけてくる。
「そこがまさに着物の美なのですよ」と池田さんが語りかけてくるようである。
かつて、講演会の講師をお願いし、目黒のお店まで車でお迎えにいったとき、
車中でお話を伺ったことがある。
「着物についての知識を深めるにはどんなふうに勉強したらよいのでしょう?」
という私の質問に対し、それが彼女の信念であると言わんばかりに、
「まず着ることです。着るしかありません」。きっぱりと言われた。
着物が日常着でもある時代、ハレの日の着物の中に、どれだけこころを込め、
おしゃれの極みを発揮したのだろうか。
そこには、いまの私達とは比べようもないほどの労力とこころの使いようがあるように思われる。
池田重子さん、ありがとうございます。
どうか安らかにお眠りください。
0 件のコメント:
コメントを投稿