2013年8月28日水曜日

世田谷美術館で「榮久庵憲司とGKの世界展」を観る


世田谷美術館で開催中の「榮久庵憲司とGKの世界展」
(7/6~9/1)を観に、午後から出かけた。

田園都市線・用賀駅で降りる。



























世田谷美術館までは15分くらいのみちのりだったが、
深いグリーンが日差しを防いでくれ、、
敷石の表面に彫られた「百人一首」の言葉と文字をたどれば、
あまり時間は気にならない。














久々に訪ねた「砧公園」の緑は、
まるで広々と腕を広げて迎え入れてくれるかのよう。
気持ちがのびのびとする。




































展覧会のタイトルは「鳳(おおとり)が翔(ゆ)く」。







































キッコーマンの醤油びんを始め、生活の中のあらゆるものたちが並び、
展示空間自体がひとつのデザインになっていた。

GKのデザインは、常に生活の中、我々の身近にあり、
戦後から現代までの日本がってきた足跡のように見えた。



そして、「人と自然と道具の共生」を提唱する榮久庵が
たどり着いた世界は、作品『池中蓮華 2011』。

われわれを仏の世界へと導いてくれるのは、
色あせた木のお堂や仏像の古拙の微笑みだけではないのだ。
新しい素材を使い、現代のエネルギーやテクノロジーを駆使して
つくりあげた世界は、不思議な懐かしさを覚える浄土の姿であった。

その中を、ゆっくりと鳳(おおとり)が翔(ゆ)く。

これが、デザインの力なのか。

感動して、しばらくその場を動くことができなかった。



会場を出たところで、流れる映像の中、栄久庵自身が語る、
現代社会への警鐘。

「道具を作りすぎ使いすぎの世の中、
一つひとつの道具の価値を高めることにより、
人は精神世界を広げていくことができる…」。

栄久庵には、街も住まいも生活空間は道具であふれかえり、
人々がアップアップしている姿が見えてくるのであろう。

選び抜いた道具だけを側に置こう。
人は、価値ある道具によってのみ、育てられ磨かれるのだから。




美術館を出た。

すでに十分な感動をもらっていたが、
少し欲張って、世田谷美術館分館に立ち寄ることにする。

環八沿いの停留所からバスで、千歳船橋駅へ。
小田急線・成城学園駅から徒歩3分の住宅街の中に、
世田谷美術館分館「清川泰次記念ギャラリー」はある。














清川泰次(1919~2000)の住まいとアトリエであったところが
2003年からギャラリーとして公開されている。























清川泰次の絵は、縁あって20代の頃にたくさん見ているが、
彼が得意な写真の腕を生かして撮影した
「モンパルナスの藤田嗣治のアトリエにて」(1954)を
見たのは初めてだった。
藤田68才、清川35才。
藤田に会った時の清川の喜びが伝わってくるかのようだった。



























閉館時間が気になり急いで2館を回ったので、
昼食をとっていなかった。





















成城学園前駅近くの店で、
夕方の通りを足早にゆく人々を眺めながら
早い夕食をとった。
今日の日を振り返りながら寛ぐには、ちょうどよい窓辺の席。
充実した美術館めぐりのあと、ワインも爽やかに感じた。



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