2013年8月18日日曜日

アサヒビール大山崎山荘美術館を訪ねる


奈良駅で夕方3時半に待ち合わせる約束があったが、
東京を朝早く発った。

京都で過ごす時間を作り、
以前から行きたいと思っていた美術館へ行くことにしたのだ。

JR山崎の駅は、京都から東海道線・各駅停車に乗って5つ目、
15分くらいで着く。

















関西に住む人は、「山崎」と聞いて、
あぁあのあたりか、とわかるのかもしれないが、
「山崎の合戦」という言葉は浮かんでも、
地理的なことについては、ぴんとこなかった。

山奥かと思っていたが意外に近いところだったのだ、という印象。

駅に着くと、目の前に美術館への送迎バスが来ていた。
バスに乗れば、あっという間に美術館に着く。
歩いても10分くらいの距離かもしれないが、
急な坂道があるため、バスがあって助かった、と思う。

ここは天王山。
羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の戦いがあった場所だ。
美術館入り口でバスを降りると、
「秀吉の道」という看板が目に入った。
天王山を登るハイキングコースにつけた名前だそうだ。
入り口のトンネルをくぐってから、建物に着くまで
さらに坂道を上り、庭園の横の道を通り抜けて行く。





 
 
「流水門」と呼ばれている門を通り、
ようやく見えた建物は英国風のたたずまい。
美術館本館である。
 
 












別荘として、加賀正太郎が自ら設計した建物である。




















加賀正太郎(1888~1954)は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家。
趣味人としても大きな業績を遺した。

アサヒビール初代社長・山本為三郎と深い親交があった。
この縁が現在の「アサヒビール大山崎山荘美術館」へと受け継がれている。














山荘は周囲の山に抱かれて建っている。
テラスから目にする眺めは川の流れや遠くの山と空を取り込んでいる。

この位置関係が素晴らしい。








































本館からつながる新館は安藤忠雄の設計。
こちらは、美術品を展示するためのスペースとして増設された部分である。

モネの睡蓮の色彩やミロの彫刻の不思議な造形は貴重な作品群である。
しかし、その印象もかすんでしまうくらい、
この趣のある山荘の存在感は圧倒的だった。






最後に庭に降り立つと、繊細さとおおらかさ、和と洋、品格と遊び心。
相反する要素を巧みに取り入れた作庭に魅了され、
時がたつのもすっかり忘れていた。

夢のような時間は過ぎ、
奈良に向かうため再び京都駅に舞い戻った。


 



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