前日10月19日の夕方から降り始めた雨は、
20日の朝も降り続き、結局夕方薄暗くなるころまで降っていた。
今日は、大和郡山にある慈光院で、
「開山玉舟和尚並びに片桐石州毎歳忌法要」が10時から開かれ、
10時30分からは法要の席からお客様が移動され、
新書院での、濃茶席(古石州流・本庄扇宗先生担当)と
薄茶席(片桐宗猿派・森川宗悦先生担当)が始められた。
今年は、慈光院創建350年ということもあり、
早い時間から多くのお客様がおみえになった。
(写真:薄茶席)
各6席を設け、それぞれに40~45名様をお迎えするかたちで、
両席とも打ち合わせ通り進み、夕方には受付と水屋の役割だった私たちも、
慈光院の本堂や旧書院の方を見て回る余裕ができた。
まずは、石州流の華と盆石を拝見。
そして、書院からの眺め。
雨後の夕暮れ時にも関わらず、庭と室内のこの美しいコントラスト。
何度来ても、ここではこの眺めに心を奪われ、時を忘れる。
寺の門の脇に「茶道石州流発祥之寺」との碑が立つ。
大和小泉藩の城主で、徳川将軍家の茶道指南役であった
片桐石州(1605-1673)が、父の菩提を弔うために1663年に建立。
との考え方で石州が設計したものである。
350年間、火災にもあわず、創建当時のかたちのままを保っている慈光院。
石州の茶を知るための大きな「手がかり」と言えるだろう。
そんなことを改めて感じた。
すっかり晴れあがった翌日は、再び慈光院へと足を運んだ。
朝早い時間だったため、
観光客の姿がちらほら見えるだけの、静かな境内である。
観光客の姿がちらほら見えるだけの、静かな境内である。
書院でお抹茶とお菓子をいただき、
庭に向かい合って座し、ご住職のお話を伺った。
庭に向かい合って座し、ご住職のお話を伺った。
「利休の精神に戻ることを石州は目指した」。
石州の茶の特徴としてよく言われるのは、
「織部や遠州の大名茶の系譜を受け継ぎながら、
利休伝来の侘び茶も取り入れて集大成した」
ということである。
「侘び茶」とは形だけのことではない。
石州の茶の特徴としてよく言われるのは、
「織部や遠州の大名茶の系譜を受け継ぎながら、
利休伝来の侘び茶も取り入れて集大成した」
ということである。
「侘び茶」とは形だけのことではない。
「人の心と心がまじわる」利休の茶、石州の茶。
若々しい気力に溢れるご住職もまた、
そこを目指していかれることだろう。
頼もしいかぎりである。
「一子相伝」ではなく、
「完全相伝(かんぜんそうでん)」、
すなわち、継承を望む弟子にすべてを伝えることを、
石州がよしとしたのは、
それぞれが創意工夫を重ねていく、
本来の茶の精神が伝えられることを願ったからではないか。
大和の国の空気を取り込んだ、広々と感じられる庭を眺めながら、
おおらかな石州の精神を感じることができた。
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