2014年8月7日木曜日

立秋・金春まつり・路上奉納能



















銀座8丁目の金春通り。
路上で行われる奉納能を観に行った。





























午後5時半、まだ空は明るいが、
たくさんの人が集まっていた。

これからここで、何か楽しいことが始まる、という
わくわくとした気分に満ちていた。

午後4時から配られた整理券を持っている人は
簡易座席に座れる。

初めてのことなので、最初はわからなかったが、
銀座4丁目の方向からくると、
左手の店と店のくぼみの部分に
「金春稲荷」が祀られていて、
能は、祭礼棚に向けて演じられる。

「金春稲荷」は、金春祭りの7日間だけ祀らるのだそうだ。

舞台は、高く造るわけでもなく、路面にある。
観賞者の席は、その両側の路上に細長く設(しつら)えられ、
舞台の左側席は新橋側、右側席は銀座側となる。

銀座側では、紅いロープを、立見席の観客が持ち上げて
「橋掛かり」をつくり、そこを行きも帰りも
能装束を身に着けた演者が通ってくれるので、
彼らを間近に見ることができた。

座席の間の、演者が通ったあとの通路に
毛氈(もうせん)を敷いて座る席もあり、
目の前の座布団を手にした人たちがそちらに流れたあとは、
立見席の2列目からも、能をしっかり眺めることができた。

午後6時、主催者のあいさつから始まり、
金春流の先代の家元・信高氏が亡くなったのが
4年前の今日であったというお話があり、
全員で黙とうを捧げた。
信高氏は、「国立能楽堂」を創る折に尽力された方であるという。

本日は、現家元・安明氏とそのご子息も演じられる。

演目は「延命冠者」「父慰」「鈴之段」「獅子三礼」。

始まると同時に、秋めいたひんやりとした風が
通りに吹き込んできた。
まるで、奉納能が自然の神様に守られているかのようだった。

高らかに響き渡るお囃子の音が、
金春通りの細長い天井である空へと吸い込まれていく。

いつの間にか、見ている我々も奉納の空間の中で、
ひとつになっていた。

辺りは少しずつ少しずつ夕闇に包まれていく。







































白い獅子1人と赤い獅子2人が登場し、
紅白の牡丹を脇に置いて舞う「獅子三礼」は、とくに見ごたえがあった。

「神事ですから、撮影はご遠慮ください」
という説明が事前にあったが、
この演目の時には、周囲でシャッター音がいくつも聞こえた。
思わずシャッターを押してしまった、という気持ち、
わからなくなかった。

能が終了し、演者が戻るときも、
衣裳にふれることができるくらい近くを通った。
ここでは、カメラを向けることを許していただこう、と思った。



























夜7時。帰り道は、すっかり陽が落ちて、
名残惜しげな様子の、赤い提灯が見送ってくれた。























そろいの浴衣も楽しげな銀座の風物詩。来年も、ぜひ来たい。



2014年7月7日月曜日

玉三郎の『天守物語』


梅雨あけはまだもう少し先のようだ。
今日も、しとしと雨が降ったり止んだりの
はっきりしないお天気だった。

今日の歌舞伎行き。
いつもとは少しテンションが違う。
「玉三郎の鏡花作品を一度観てみたい」
という思いが、ついに叶う日だからである。

時間の読み違いをして、
夜の部が開場する40分も前に着いたので、
木挽町通りの「樹の花」に入って、時間を過ごすことにした。





















昼の部は、古典の名作と言われる、2つ。
「正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)」と
「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」。

夜の部は、新作歌舞伎の演目が並ぶ。
岡村柿紅作「悪太郎(あくたろう)」、
岡本綺堂作「修禅寺物語」、
泉鏡花作「天守物語」の3つである。








































市川海老蔵が団七・お辰を演じる「夏祭浪花鑑」は、
2013年3月に、テアトル銀座劇場で観ているので、
その時の舞台と比較しながら観るのも面白いかもしれない。

しかし、坂東玉三郎が主演・演出する「天守物語」も、
今回が12回めの上演だが、評判が高い。

昼の部にするか夜の部にするかと迷いつつ、
インターネットの座席予約の画面を開くと、
夜の部は、前から3列目に、ぽつっと1つだけ席が空いている。
これはもう私のために用意された席だ!
と思って予約してしまった。



16時、開場時間の歌舞伎座周辺。
そわそわ、わくわくとした空気が渦巻くこの時間は何とも言えない。













 
 
会場は満席のようだ。
玉三郎、海老蔵とくれば、
若いファンの姿も多い。

























「天守物語」の幕があがる。

姫路城の天守。
怪しい風がうずまいている。

玉三郎の富姫(とみひめ)登場。
広い会場にいる観客が一人が残らず舞台に引き込まれていく。
玉三郎の発するオーラは、やはり凄い。

幻想的で、不思議な世界の美しさ。
それは作者・泉鏡花が狙ったものであり、
玉三郎の感性による演出が重なり、
独特の舞台になっている。

音声ガイドの解説を聞いた。
「人間でないものに人間の愚かさを語らせる」というのは、
他の作品でも見られる、鏡花の手法だという。
そのテーマは、人間でないものを演じられる、
玉三郎というが演じ手がいてこそ、
強く胸に響いてくるのだと思う。

玉三郎は、歌舞伎から離れた「演劇」や
様々なジャンルの「舞踊」「音楽」などに対する、
独創的な試みを続けているが、
ひょっとすると、玉三郎自身の中にあるテーマはいつも、
庶民と共にあること、弱者の側に立つこと、
すなわち「歌舞伎らしいもの」、なのかもしれない。
今日の舞台を観て思った。





















新しい歌舞伎座で初めて上演された「天守物語」。

3列目の席を確保できたことは本当にラッキーだった。
美しい演者たちを間近で見られたことで、
観劇の喜びは一層大きくなる。

帰り道、玉三郎の富姫の姿のポスターを何度も目にした。
その度に、胸の中に感動の波が戻ってくる。

これまでにない観劇体験だった。


2014年6月26日木曜日

20年ぶりの対面「デュフィ展」


ラウル・デュフィ(1877ー1953/フランス北部ル・アーヴル生)は、
最も好きな画家のひとりである。


















透明感ある色彩と軽やかに踊る線、この二つの要素が、
それぞれ独立した魅力を保ちながら、絡まりあい、
デュフィの芸術を創り上げている。


1978年3月、初めて行ったパリ。
「プティ・パレ美術館」でたくさんのデュフィの作品に出合う。
広い空間の中で、心ゆくまで味わうことができた。




















絵と空間とともに忘れられないのが、
ベビーカーを押しながら美術作品を楽しんでいる若いお母さんたちの後ろ姿。
パりでは、芸術と人生、日々の暮らしが一体になって溶け合っている。
「それこそが、本当の美だ」。
そんなことを感じた21歳の頃。

















2回目は、「母」になって、6回目の夏。
幼稚園の行事「お泊り保育」に娘を送り届け、
その足ですぐ渋谷の美術館に向かった。
金曜日の夜だったが、人の少ない恵まれた空間で、
「デュフィ展」を観た。
会場にある、自動演奏のピアノから流れるのは、
その頃大好きになったサティの曲だった。




















たくさんのデュフィの絵に囲まれた感動は、今も同じだ。
絵を、自分自身でも描きたいという思いが、
身体の中から湧きあがってくる。

サティの曲をピアノで奏でることはできないが、
絵筆の先から、サティの曲がこぼれ出てくるような、
色と線を用いて描いてみたい。



























美術館の後のランチには、軽いフレンチを選ぶ。
「デュフィ展」のあとにはぴったりの店に友人が連れて行ってくれた。















パリにも行きたい。絵も描きたい。
青春時代の想いが身体の中を駆け巡った午後は、
ふんわりと淡い憧れとピリピリと辛い胸の痛みが
あいまって、不思議な味わいだった。






2014年6月25日水曜日

神楽坂のイタリアン「リストランテ ステファノ」


神楽坂に通勤していた10年くらいの間、
ランチは何度か食べに行ったけれど、
ディナーでは一度も行っていなかった気になっていたお店が、
「リストランテ ステファノ」。
東西線・神楽坂駅出口1から出て、左へ。
音楽之友社の向かい側、少し小路を入った奥にある。





















オーナーシェフ・ステファノさんは、イタリア・ヴェネト州の出身。
厨房とホールと両方を行き来して
忙しそうだけれど、やわらかいスマイルを欠かさず、
料理やワインをサービスしてくれる。





 



今夜は、家族3人が集合。
3種類のパスタやリゾットをオーダーしたところ、
一人分ずつお皿に取り分けて運んでくれた。



























最近は、イタリアンレストランも増え、
日本的に変化してきた味付けの店も多いが、
ここ「ステファノ」では、イタリアそのものを味わえる気がする。

家族3人で、旅をしたミラノ、フィレンツェ、ローマ。
ステファノの味には、その旅の思い出へとつながる懐かしさがある。

少し疲れていたとしても、仕事帰りに立ち寄れば、
小さな旅をしている気分になれる。
癒される店である。















2014年6月21日土曜日

護国寺茶寮「第28回柳営茶会」


地下鉄有楽町線の護国寺駅に着いたのは、ちょうど午前9時。

今日は、石州流伊佐派の磯野宗明先生のご縁を頼って
伺った「柳営茶会」。

石州流伊佐派は、千代田城(江戸城)内で教えていた流派であると
聞いている。

柳営茶会は、そのような江戸・徳川時代の伝統をいまに伝える、
武家茶道4流派によって、毎年開催されている。






















案内では「10時から」とあるが、
その1時間前には人が集まり、
その集まった様子を見て、第一席を始めるのが、
寄せ茶会である。
特に護国寺での茶会は人気があり、
ゆっくり出かけていたのでは、
1席しか入れずに帰ることにもなりかねない。

ということで、今日は、必ず3席は回ろう、と
張り切っていた。

すでに前を歩く方が何人も見える。



 階段を上り、「不老門」をくぐって、
まずは本堂へと進み、余裕をもって、ご本尊様にご挨拶。

こうでなくてはいけない。
これまでを振り返り、反省する。

茶会の朝には、着物を着る余裕、数寄屋袋(茶席に必要なふくさ、懐紙、
扇子、楊枝などの小物をまとめて入れる袋)と茶券を点検する余裕、
いろいろな余裕が必要である。




受け付けを済ませ、「会記」をいただいた。




荷物を預け、左手一番奥にある「月窓軒」の、
石州流伊佐派・八世磯野宗琢先生のお薄茶席へと急いだ。











床の掛物は、五代将軍綱吉の描いた「馬図」。
「柳営御物(りゅうえいごもつ)」として、
この茶会のために徳川宗家から拝借したものであるという。
今年は午年であるということもあるが、
護国寺が、綱吉が母の桂昌院のために建立した寺であることからも
今日の席にはふさわしい。

石州作の茶杓、石州好「切子釜」、石州好茶器「一文字桐」、
石州好天目茶碗「七ツ菊」などのお道具が揃い、
片桐石州侯の御席を偲ばせる席づくりであった。

将軍や大名家に伝わる立派なお道具にため息をつきながら、
お点前、お運びのかたがたの動き、所作の格調の高さに
正客をはじめ一同が静かに見入っていた。

お茶が点って初めて、正客が口を開く。
席主は、お身体を養生中の宗琢先生に代わって務められる宗明先生。
落ち着いたお話しぶりが、心に残った。






















点心をいただいたのち、
2席目は、濃茶席「牡丹の間」へ。
旧平戸藩主伝来・鎮信流宗家・松浦宏月先生のお席である。

松浦家伝来の品や平戸御庭焼などによるお道具組も、
ご宗家の対応も、大らかで、いかにも「殿様の茶」という感じだった。

歌舞伎「松浦の太鼓(まつらのたいこ)」では、
中村吉右衛門が演じる「松浦鎮信」を観たことがあるが、
あの「大らかさ」に通じる。

3席目に入った、立礼席(薄茶)は、
旧磐城平藩主伝来・御家流宗家。安藤綾信先生のお席。

長身のドイツ人男性がきりっとした「武家らしい」お点前をされ、
印象的であった。





















3席それぞれの味わいがある、よいお席だった。