記念切手になったことでも有名な「見返り美人図」の作者であり、
浮世絵を確立した「浮世絵の祖」と称される菱川師宣(ひしかわもろのぶ)。
師宣の生誕の地は、千葉県安房郡鋸南町である。
そこに建つ「菱川師宣記念館」(鋸南町吉浜516)に一度行ってみたいと
以前から思っていた。
行きかたを調べているうちに、
開催中の企画展に、北斎の『登り龍』が展示されている(1/20まで)、
ということがわかったものだから、「今すぐ行こう!」という気持ちにまで
発展してしまった。
記念館は、JR内房線保田(ほた)駅から歩いて20分くらいの場所。
保田は、8月に訪ねた金谷美術館のある、浜金谷(はまかなや)のとなりの駅である。
鋸山の手前が浜金谷、山を越したところが保田である。
そう考えると、初めて訪れる場所だが、親しみがわいてきた。
JR京葉線で蘇我まで行き、内房線に乗り換え、保田へ向かう。
11時32分に到着。
(保田駅の北方向に鋸山が見渡せる)
(保田駅)
(駅前観光案内所)
駅前の観光案内所に立ち寄り、地図やパンフレットをもらう。
そこで行き方をたずね、まずは「菱川師宣生誕の地の碑」のある場所へ行ってみた。
楢崎宗重先生(浮世絵研究の大家)の名が建立者として刻まれていた。
海の深い色と白く泡立つ波頭を眺めながら、国道127号を歩いていく。
普段の生活の中ではなかなか味わえない、力強い自然の姿である。
あとで、菱川師宣記念館で買い求めた絵はがきの中に見つけた、
広重の描いた「保田の海岸」。こちらも泡立つ波が印象的である。
(絵はがき:「房州名所 房州保田の海岸」歌川広重画)
師宣記念館前に着く前に、保田漁業組合直営食堂「ばんや」ですませた。
昼食をとる場所があるかどうか出かける前には心配していたが、
国道沿いには何件も食事できる店があり、
いずれも、新鮮な魚料理を食べさせてくれそうだった。
(ばんや日本料理館・海鮮ちらし御膳)
食堂を出てから5分くらいで、菱川師宣記念館に到着。
(スロープを上がって左手が入り口)
記念館内は、ふっくらした面持ちの師宣美人の作品の他に、
豊国や国芳など、浮世絵師たちによって描かれた表情豊かな役者絵のコーナー、
暮らしの道具や着物の柄が詳細に書き込まれた美人絵のコーナーなどがあり、
充実している。
企画展では、伝岩佐又兵衛の作品から小林清親まで、時代を追って、
肉筆浮世絵画を並べている。
やはり、お目当ての北斎の登り龍は、想像上のいきものではなく、
実際に見て描いたのではないかと思えるほどリアルで立体的な龍の姿が描かれていて、
「さすが北斎、う~ん」と、うなるしかなかった。
師宣(1630頃-1694))は、江戸へ出てからも、故郷房州保田をこよなく愛した絵師。
「見返り美人図」(東京国立博物館蔵)の落款にも「房陽 菱川友竹筆」と入れている。
(絵はがき:菱川師宣画)
国道沿いに保田駅に向かって戻る途中から右手(海と反対側)へ入っていくと、
ゆるやかな丘陵地帯が始まり、「水仙ロード」と呼ばれる道につながる。
15時40分の列車に乗るまで、約1時間あまり、
早春の景色と表情豊かなスイセンたちを楽しむことができた。
人家の庭先にも、
石垣の上にも、
石垣を背景にして、
石仏の周辺にも、
積み藁と共に、
菜の花畑とおばあさんを囲んで、
暖かい斜面を選んで、
スイセンたちは、のびのびと茎や葉を伸ばし、
まあるい顔をお日様の方に向けて咲いていた。
春がもうそこまで来ている。
、
「水仙ロード」は1キロも歩かなかったかもしれない。
少し名残惜しかったが、引き返して保田駅に向かことにした。
室町時代末に創始し日本武尊が祀られている場所。
明治になってから保田神社と呼ばれるようになった、と記されていた。
加茂神社の親しみやすい顔の狛犬たち。
駅近くにも、見るべきものがものがいろいろあった。
滞在時間は4時間ほどだったが、
保田の文化も自然も、ぎゅっと身体の中に詰め込んで、
帰りの電車に乗り込むことができた。
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