2014年1月1日水曜日

平成26年正月、お屠蘇とお雑煮、「変わらないもの」



大晦日に湯通しし、やわらかい布で拭き上げて用意する。

おせち作りの湯気とにおいと、祖母と母のエプロン姿とともに、

その朱塗りの屠蘇器は私の記憶の中に焼き付いている。

生まれてからずっとお正月がくれば目にしていた器。

実は父が亡くなったあと迎えた2回のお正月では

使わなかったのだが、

今年は出してきて、じっくりと眺めた。

心の中に少しゆとりが生まれたということかもしれない。





































明治27年生まれの祖母は、

自分が嫁いだ福岡・久留米の旧家のやり方をくずさず、

東京の小さな家の中でも細かい点まで母や私に指示を出した。

核家族の友達の家は明るく、

自由な空気に満ちているように思えてうらやましく、

かび臭い湿ったような自分の家の中がずっと好きになれなかった。

その空気を振り払うかのように、

私は新しいことを求めて外に出て、

祖母や母に教えられてきたやり方ではない、

自分なりのやり方というものを探してきたように思う。

私の自分の家は絶対に「風通しのよい家」にする、と決めていた。



しかし、3年前父が急に逝ってしまった。

祖母はもういない。

祖母とともにいつも家の中の季節行事を過ごしてきた母は

記憶を失っている。

そしてそのとき気づいた。

私にとって古くて重たかった、あの家の文化は、

父という存在をなくした瞬間に、あっという間に

消えてなくなってしまったということに。



葬儀は、お盆は、お彼岸は、お正月は、

どのようにしていたのか、母には答えられない。

私の手さぐりの日々が始まった。



屠蘇器だけがあってもしかたない、と思っていたけれど、

これがあってよかった、と今は思う。

祖母や母がどんな日本酒を屠蘇器に注いでいたのかは知らない。

私は私でお酒を選ぶことにする。

母を今も見守ってくれている、この土地のお酒を。
















お雑煮だけはかろうじて教わっていた。

アレンジすることなど考えず、そのままシンプルにつくる。






















古いもの、押し付けられるもの、変わりばえのしないものを退けてきたが、

今は、ほんの少しでも「変わらないもの」があったことに、

ほっとしている。

そして、それらに日々背中を押してもらっている。






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